
親友が寝取らせの提案
金曜の夜、ガード下の焼き鳥屋。
香ばしい煙が充満する狭い店内は、1週間分の疲れを流そうとするサラリーマンでごった返している。
俺と金井圭介は奥まった2人がけのテーブル席で、顔を突き合わせるようにして、琥珀色の飲み物でノドを潤していた。
仕事の愚痴や女の話に花を咲かせていたら、唐突に金井が言った。
「うちの嫁さん、目隠しされてセックスするのが好きなんだ。視界を奪われると余計に想像力が働いちゃうんだろうな。いつ、どこから責められるのか分からないのがいいみたい。乳首に息吹きかけただけで体震わせてさ、アソコぐっちょり濡らしちゃうんだ」
俺は思わずビールを吹き出してしまった。
「おいおい、勘弁しろよ。きたねぇな」金井はすかさず抗議の声を上げたが、抗議したいのはこっちの方だった。
「自分の嫁の性癖暴露なんて悪趣味だな。俺は千夏ちゃんのこと知ってるんだぞ? 彼女の気持ちを考えてみろ。バカヤロウ!」
金井千夏。旧姓、柳井千夏。幼稚園からの幼なじみ。俺の報われなかった初恋の相手でもある。
小学生の時に3度。高校生の時に1度。大学生の時に2度振られた。その度に彼女は端正な顔をくもらせ、うつむき、まつ毛を震わせたのだった。
「ごめんね。私、あなたのこと好きよ。でもその好きは男女間のそれじゃないの。会えなくなるのはイヤ。社会人になっても、お互い結婚しても、ずっと友達でいたい。でもそれって私のワガママだよね。きっとあなたのこと傷つけてるんだよね」
そうだ。ワガママだ。振られるたびに俺は傷ついた。いや、むしろ傷は深くなるばかりだった。好きで好きで好きで、好きでたまらなかった女を絶対に自分の腕で抱くことのできない絶望。
それでも友達というスタンスをどうにか保ち続けてきたのは、俺も彼女と会えなくなるのがイヤだったからだ。大学で親友になった金井に千夏ちゃんを紹介したのは、決別であり未練であり打算であった。
金井のような優秀でいい奴なら。
見ず知らずの男に取られるくらいなら。
たまに会うことさえ適わなくなるくらいなら。
金井と千夏ちゃんはあっさり恋に落ちた。輝ける青春時代をむつまじく過ごし、就職してすぐに結婚した。
思惑通り、だったのだろうか。
2人は結婚しても俺をちょくちょく家に呼んでくれた。
鍋を囲み、酒を酌み交わし、とりとめのない話で夜を明かしたこともあった。
楽しかった。しかし同時に苦しかった。
ある晩、トイレを借りた時、目に入ってしまった2人の寝室。ベッドに残る2人の気配。胸が張り裂けそうだった。
忘れたくても忘れられない、千夏ちゃんへの恋慕。でももう、どうしようもなかった。理由はどうあれ自分から仕向けた2人の結婚なのだから。
そんな俺の気持ちも知らず、金井は呑気にボンジリなんか食いながら俺に千夏ちゃんとの夜の話をしやがった。
怒りで震えそうになる手を必死に抑えていたら金井が言った。
「俺の代わりに嫁さん抱いてみないか?」
「あん?」
「おまえ、千夏のこと好きなんだろ?」
次の瞬間には、金井の頭にビールをぶっかけていた。
寝取らせという性癖
「ひでえな。ビールかけじゃないんだからよ。買ったばっかのスーツなんだぜ。いい大人なんだから感情くらいコントロールしろ。クソが」
居酒屋からの帰り道、金井は俺をなじったが目は怒っていなかった。めちゃくちゃな発言だった、という自覚があるのだろう。
嫁さん抱いてみないか――。
金井の言葉が頭にこびりついて離れなかった。俺は金井に対してキレたわけだが、その直後、よこしまな思いにとらわれた。
冗談なら許せない。千夏ちゃんを著しくバカにしているし、俺の気持ちを踏みにじっている。
しかしそうでないのなら。本気の発言なのだとしたら。
「さっきの何だよ、どういう意味だよ」俺は金井の真意を確かめたかった。
「忘れてくれ。いくらなんでも突飛だったよな」金井が苦笑いを浮かべる。
「ただの冗談か?」
「違うって」
「俺をバカにしたのか? 憐れんだのか?」
「そうじゃない」
「じゃあ何だよ、答えろよ」
金井は立ち止まった。そして夜空を見上げた。ふざけている横顔には見えなかった。少し迷ったようだが、金井は口を開いた。
「目隠しして千夏とヤってたらさ、ふと思ったんだ。このまま俺が誰かと代わってもバレないんじゃないかって、そう思ってしまったんだ。そしたらさ、ホレ」
金井は自らの下半身を指差した。スーツの上からでもハッキリ分かるほど猛々しくいきり立っている。
「止まらなくなっちゃったんだ」と金井が再び口を開く。「千夏より、俺の想像が。目隠しされた千夏が他の誰かとヤってるところを想像しただけで、このありさまだ」
一種のネトラセーー。
俺には信じられないが、愛する女が他の男に抱かれることで異様な興奮を覚える男がいると聞く。金井もそういう類の男なのかもしれない。
だが、そんな金井の特殊な性癖のおかげで俺にありえないチャンスが巡ってきている。
絶対に抱けるはずのなかった千夏ちゃんの体を抱くことができる。この俺が、抱ける。抱ける。抱ける。抱ける。抱ける。抱ける……。
「本当に冗談じゃないんだな?」俺は夜空を見上げたままの金井に話しかけた。
「え?」
「本当にいいのか?」
「おまえ……」
「答えろ。冗談だっておどけるなら、今が最後のチャンスだ」
「冗談なんかじゃない!」
金井はツバを飛ばしながら俺にすがりついてきた。
「無茶な頼みだって分かってる! でもおまえじゃなきゃダメなんだ! 他の男には抱かせたくない! 分かってるだろ? 俺がどんなに千夏を愛してるか。だからおまえじゃなきゃだめなんだ。似たような体型だし、きっとバレない。おまえを傷つけてしまうかもしれないけど、他に頼める奴なんかいないんだ!」
頼む、とその後5回くらい金井は繰り返した。想像が止まらないんだ、とも言った。最近そのことばかり考えているんだ、とも。
ここで俺が断れば、金井は千夏ちゃんを他の男に抱かせてしまうかもしれない。それだけは断じて許せい。
それにやっぱり、なによりこの俺が、千夏ちゃんを抱きたい。
こんなことは狂気の沙汰だ。千夏ちゃんに対する冒涜でしかない。だけど、ほとばしる熱い思い。血が沸き立って立ちくらみがした。
分かった、と俺は答えた。「もう引き返せないからな」
千夏ちゃんのはじけるような笑顔が、少し控えめな乳房のふくらみが、脳裏にアリアリとよみがえった。